ヨーロッパ通信・第三十五号
2009/07/12 ヨーロッパ特派員だより by Saeki Mihoko
フランスにおける化粧品広告の歴史・前半
〜ロレアル創立100周年に添えて〜
こちらパリでは1年の中で最も気持ちの良い季節を迎えています。特に6月後半から7月前半にかけてはからりと晴れ、また気温も過ごしやすく、新緑が美しく、なにかと理由をつけては外出したくなる時期です。
去る6月21日は1年で一番日が長い夏至の日でした。
この日は毎年、フェット・ド・ラ・ミュージック(音楽祭)がフランス全土で開催されます。
数あるイベントでもフランス人が最も愛するイベントのひとつで、フランスの町中のあらゆる道々が車両禁止となり、コンサートステージと化すのです。
演奏する人はアマからプロまで、子供から大人まで音楽に合わせて踊る踊る。
ジャンルも多種多様、ロック、ジャズ、ブルース、シャンソン…。
まさに音楽が好きなら何でもありな訳なのですが、せっかく日が長いのだから国をあげてとことん音楽を楽しみましょう、そんな芸術を愛する国フランスならではのイベントです。このイベント、現在では世界の250もの都市に広まっているとのことです。
さて、今回は「フランスにおける化粧品広告の歴史」がテーマです。
フランスの美容の近代史は、ロレアル社(傘下のブランドも含めて)の歴史そのものと言っても過言ではありません。
1909年に、創立者で化学者ウージェンヌ・シュエレールが、パリの小さなアパートで立ち上げた、これまた小さなヘアーカラーの会社は(ロレアルと改名したのは1939年)、今では23のブランドを有し、67,500人もの従業員を抱えるヘアケア&メイクアップ製品の世界最大手となりました。
今年創設100周年を迎え、本拠地のパリではガラなどの様々なイベントが開催されました。
ロレアル社の成功は、その徹底した科学的、技術的な美へのアプローチがまず最初にあげられますが、時代に先駆けたコミニュケーション手段にも成功の秘訣が隠されていると思います。
ロレアルの広告、と聞くと、まず思い浮かぶのがキャッチフレーズ “私にはその価値があるから” 。
それからペネロペ・クルーズ(マスカラやヘアーカラー&スプレーの広告に登場)などのミューズ達でしょうか。
ハリウッドに代表される彼女達の活躍は、ロレアルの広告に抜擢されることでその頂点に達したと理解されることが多いほど影響力があると言われています。

こうした広告ミューズの契約が交わされる度、その金額と内容に毎回開いた口がふさがらなくなるのは私だけではないはずです。
例えば、2004年に歌手のビヨンセさんが、5年間で470万ドル(約5億1,200万円)の契約を結びましたが、その契約内容は毎年10日間のみの労働、10日間を超える場合は1日当たり2万5,000ドル(約270万円)でさらに2日間のみ延長することが可能。
他にロレアルのライバルブランド製品にビヨンセさんが近付くことを禁止し、常に外見やヘアースタイルのコンディションをベストに維持しなければならないなどの条件でした。
過去にさかのぼってみると、創設直後から既にロレアルの広告戦略が伺えます。
ウージェンヌ・シュエレール本人も記事を執筆していた専門誌 “La Coiffure de Paris(パリのヘアースタイル)” を1912年に買収しました。
これはロレアルの製品を効果的に宣伝する画期的な手段でした。
というのも1927年に発売開始した家庭用ヘアーカラーのテストを誌上で行い、消費者の信頼を得ることに成功したからです。
また、当時の広告と言えば、イラストレーターによるイラストが大半で、色も白黒です。


媒体にもよりますが、イラストがカラーになったのは30年前後くらいから。
クリスチャン・ベラード(ニナリッチやゲラン)、ピエール=ローラン・ブレノ、ギヨーム・ジレ(ランバンなど)、レイモンド(ブルジョワのSoir de Parisなど)、ルネ・グリョウ(エリザベス・アーデンなど)といった著名なアーティスト達が活躍しました。



後に50年後期から60年にかけて、プロダクト写真とイラストになり、写真のみになったのは60年代以降のことでしょうか。

ロレアルは広告のパイオニアでした。
31年には当時としては非常に画期的だった路面広告プロモーションを行いました。
それはパリの中心の大通りの1万平米もの建物を、巨大な広告パネルで包み込むというものでした。
また32年にはラジオにて初めて歌付きの広告を流しました。
これがいわゆるCMソングの始まりなのです。33年には月刊美容誌 “VotreBeauté(貴方のビューティ:現在はマリークレールグループの傘下)” を、美しくありたいと思う女性をより深く、より親身となって理解するために創刊されました。
また、自社製品の宣伝の格好な媒体となったわけです。
当時の女性の肉体解放に多いに貢献したのは言うまでもありません。
35年にはロレアルのマスコット製品である日焼け用オイル、Ambre solaireが発売されます。

色白が美しいという当時の常識を覆したのも徹底的なイメージ戦略がありました。
雑誌”Votre Beauté” で女性の美を追求し、世に提示してきたロレアルは、後にAmbre
solaireの広告で、当時良い意味でも悪い意味でも多くの反響を巻き起こした、美しく日焼けしたビキニ姿のモデルを使用しました。
翌年の36年には、世界で初めて年次有給休暇が法律化され、このAmbre solaireの香りがバカンスの代名詞となったのです。
日焼けは健康と現代性、またバカンスにでかけることができる裕福さをも表したのです。
55年には初のヘアーカラー用のシャンプーColorelleが発売されました。
当時の映画スター、マリリン・モンローやブリジット・バルドーらは、映画の役柄に合わせてヘアーカラーを変化させていました。

それに憧れた沢山の女性に愛用されれたのでした。
当時の広告では、美しく赤毛に染められた髪の毛にきちんとメイクされた女性のアップ。
目を閉じ、はにかむ姿は、自信に満ちあふれた独立した女性のイメージを与えています。
また同年、ファーマシーコスメのヴィシー(Vichy)を買収しました。
ヴィシーのコンセプトは31年の創立当時から変わらず「肌の健康」です。
アンチエイジング、抜け毛、毛穴…などターゲットをしぼって徹底的な効果の発揮を目指しています。
販売先も薬局のみにしぼるなど、熟考したマーケット対策もうかがえます。
広告もそのコンセプトから外れることなく忠実にブランドを反映しています。
イメージで訴える他のコスメブランドとは異なり、細かな細工はありません。
ダイレクトにそのプロダクトの効果を説明しているのです。
60年代の保湿クリームの広告では、商品と使い方のみです。
70年代のデオドラントの広告では、シリーズ展開された商品の写真とその効果の違いを説明した文のみ。
まるで医者から処方された薬品のようです。
最近の広告では、例えばアンチセルライトジェルですが、女性が腿に手をやると、そこにはあの憎いセルライトが…。
美しいボディーを誇る女性にもセルライトは存在しているのです、とセルライトさえなければ完璧ボディーなのにと思わせる写真のみ。
あるいは、フランスではまだめずらしい美白クリームの広告では、女性の顔半分を覆うくすんだ肌、ジッパーをあげると白い透き通った肌が現れます。
実にシンプルです。
または、男性の抜け毛防止用の広告では後頭部のみが薄い男性の写真。
あー、この部分も黒々していたらいいのにね…とダイレクトに人々に訴えています。
フランスでこうしたファーマシーコスメが昔から人気なのは常に効果に忠実だからでしょうか。
60年には伝説の整髪剤エルネット(Elnett)が誕生します。
当初、ロレアル・ネットととして58年にラウンチされた初の整髪剤は、後にエルネット(elle(彼女の意味)+nette(はっきりと))と改名され、ヘアーのプロのレベルのテクノロジーを導入した整髪剤を一般の女性に提供する目的で発売されました。
どの家庭のママンのお化粧台には必ずあったあの金色のチューブ状の缶…。
広告はというと、濃いめのメイクのブロンド女性が軽く口を開けていて、髪が風になびいているけれども、セットが崩れているわけではない…。
凛とした強い女性、軽やかな髪…。
自然だがどこか計算された洗練さを主張しています。
エルネットがスプレータイプになったのは68年からです。
64年には高級香水&メイクアップブランドとしてカリスマ的な人気を誇っていたランコムを買収しました。
ランコムは当時すでに国際的な人気があり、またフレンチエレガンスを具象化していたので、高級なイメージを欲するロレアルには格好なブランドでした。
ランコムの創立者であるアルマン・プティジャンは有名な調香師であり美容研究家でもありました。
そんな彼が「女性をより美しく、いつまでも若々しく」という思いを込めて創業しました。
ランコムの名前の由来はフランスはトゥレーヌ地方にあるお城の名前で、ブランドマークであるバラもランコム城のバラをイメージしたものだそうです。
高級で貴重なイメージを固守するランコムはマーケティングも、一部の高級誌への広告以外は広告活動をほとんど行っていなかったことに起因し、会社は一時的に弱体化してしまいました。
そんな時を狙ってのロレアル社の買収です。
その後の広告活動は周知の通り、多量の広告スペースを駆使し、ランコムのイメージ定着を可能にしています。
ランコムの伝説的なミューズを12年に渡って努めたのは、イザベラ・ロッセリーニです。90年代に世界的なベストセラーを記録した香水、Tresorの広告では、写真家ピーター・リンドバークによる非現実かつ気高い世界を表現しました。
ランコムのイメージが確定された瞬間です。広告の中のイザベラ・ロッセリーニは年齢や国籍、仕事や社会的カテゴリーなど様々なリアルな部分がみえません。まるで夢の中の出来事のようです。
テレビCMはほとんど実施せず、一部の雑誌や新聞などにカラー広告を掲載するのみです。しかしながら、日本をはじめとした海外でも成功しているのは非常に興味深く、サクセスモデルと言っても良いかもしれません。
次回では続きとなる70年以降から現在までの動きをお話致します。
挑発する広告、男性や黒人の登場、伸び続けるまつ毛広告、ビタミンカラーの侵略…等々です。
お楽しみに。
*佐伯美帆子さんのプロフィール*
10代でパリに移住。日本に帰国後は広告代理店などに勤務するかたわら、翻訳やライター活動を行う。フリー転向を機に再度パリに居を移す。現在は雑誌等のコーディネーションやリサーチ、ライター活動を主に行うが、パリ大学(社会学部)への復学を目指して勉強中の身でもある。趣味はパリ中の美味しいバケットを食すことと人間ウォッチング。



